東日本大震災被災地医療支援活動について①

2011.09.05

薬剤師の松本です。
平成23年4月10日~13日 宮城県仙台市若林区での
医療支援活動についてご報告します。

(関西ろうさい病院 医療支援チーム)
4月10日(日)
空路、山形空港へ。
その後路線バスで仙台駅へ。
大きな渋滞もなくバスはスムーズに仙台市内に。
途中車窓から見る市街地は地震があったことが
信じられないほど平穏でした。
仙台駅着、近くのコンビニで購入したおにぎりで
簡単な昼食を済ます。
店内の商品はまずまずの品揃えでしたが、
お弁当、おにぎりは品薄で、ペットボトルの飲料類は
ほとんどありませんでした。
その後この日の待機所である若林区役所に
横浜労災病院所有のミニバンで向かった。
途中道路はところどころで渋滞していて、
また市街地から離れるにしたがって、
道路の凸凹が目立ち、家屋の壁や
屋根瓦の崩れが目立ち始めました。
若林区役所で前医療チームより簡単な経過、現状説明を受けた。
われわれの活動は翌日からとなるので、
その後津波の被害がひどかった仙台市沿岸部を視察しました。
先ほど述べたように市街地から沿岸部に向かうにつれて
家屋、道路の状況は少しずつ悪くなり、屋根瓦がほとんど
崩れたり大きく塀が壊れたり、道路の陥没がひどくなっていきました。
しかしメディアで目にするような
大震災の状況は見て取れませんでした。
しかし、その状況は仙台東部道路という盛土の上に造られた
有料道路を過ぎたあたりで一変しました。
実はこの道路の盛土によって津波が堰き止められており、
道路の西と東ではそれこそ天と地ほどの差がありました。
その光景にわれわれ全員が目を疑い声を失ってしまいました。

(壊滅的な被害を受けた仙台市若林区沿岸部)
若林地区で一番津波被害がひどかった荒浜地区の入口には
関係者以外の立ち入りを禁止するため
警察による検問が実施されていて、
われわれは医療班による視察ということで
特別に立ち入りが許可されました。

(壊滅的な被害を受けた仙台市若林区沿岸部)
その光景はまさに地獄絵図で、何もかもがすべて破壊されており、
残っているのは瓦礫と残った海水と海より運ばれた海砂だけでした。
ところどころ自宅があったと思われる場所で作業されている方や、
ただ佇んでおられる方を見るととても胸が痛みました。
津波被害の真只中に建つ荒浜小学校にも立ち寄りましたが、
校庭は車や建物の瓦礫で埋まり、校舎の3階にまで津波による
残骸があり、果たして復旧までの月日はどれ程なのかと思うと
暗澹な気持ちになりました。
 
(瓦礫で埋まった荒浜小学校 校舎内)
 
この視察により我々医療チームの被災者への気持ち、
翌日からの救護活動へのモチベーションが
より高まりました。
翌日よりいよいよ医療活動が始まりました。
・・・明日は2日目の活動の様子を報告します・・・ぜひご覧ください!
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